世界標準の国語教育を目指して

(略)~ わたしの考えでは、建物やフェンス、公園のベンチは、それ自体がすでに芸術作品です。落書きでそうした建築物を台なしにするというのは、ほんとに悲しいことです。(略)そうした「芸術作品」は、そのたびに消されてしまうのに、この犯罪的な芸術家たちはなぜ落書きをして困らせるのか、本当に私は理解できません。 ヘルガ 十人十色。人の好みなんてさまざまです。世の中はコミュニケーションと広告であふれています。企業のロゴ、お店の看板、通りに面した大きくて目ざわりなポスター。こういうのは許されるでしょうか。そう、大抵は許されます。では、落書きは許されますか。許せるという人もいれば、許せないという人もいます。 ~(略)芸術多難の時代です。  ソフィア  

落書きに関する問1この二つの手紙のそれぞれに共通する目的は、次のうちどれですか。 A 落書きとは何かを説明する。 B 落書きについて意見を述べる。 C 落書きの人気を説明する。 D 落書きを取り除くのにどれほどお金がかかるかを人びとに語る。
落書きに関する問2 (記述式) ソフィアが広告を引き合いに出している理由は何ですか。
落書きに関する問3 (記述式)あなたは、この2通の手紙のどちらに賛成しますか。片方あるいは両方の手紙の内容にふれながら、自分なりの言葉を使ってあなたの答えを説明してください。
落書きに関する問4 (記述式)手紙に何が書かれているか、内容について考えてみましょう。 手紙がどのような書き方で書かれているか、スタイルについて考えてみましょう。 どちらの手紙に賛成するかは別として、あなたの意見では、どちらの手紙がよい手紙だと思いますか。片方あるいは両方の手紙の書き方にふれながら、あなたの答えを説明してください。
PISA2000年調査問題より一部抜粋 この問題はある主題について、違う立場から議論するディベートを前提にしたもの。問1は一見すると、よくありがちな選択式問題のように感じられる方も少なくないでしょう。しかし単純な内容把握ではなく、筆者の意図の共通点を読み取るのが主旨です。通り一遍の解き方を重宝する、日本の国語のテストにはほとんど出題されない内容と言えます。 問2は日本的な読解問題とも似ていますが、ディベートの基本技術が理解できているかどうかが試されています。問3は、解答者自身のディベート力が試され、問4はディベートの表現形式効果についての判断力が求められています。 日本的な読解力のテストでは難しい文章に対して、何が書いてあるのかを問う形式が一般的。そこでは自分の考えを主張するのではなく、筆者の考えを正しいものとして、正確に読み取ることが求められます。「自分の考え」は人それぞれで正解がないわけですから、点数が付けにくいのは明白。自分が主張するのではなく、権威ある人の考えを無批判に取り入れる―――“悲しむべき”学習姿勢がそこには求められています。 ディベートによって、対立する意見を発展的にまとめていく思考と表現は、「筆者の意見を正しいものとして、正確に読み取るいわゆる日本的読解力」とは次元の異なるものです。このテスト(ディベート)には正解がとりあえずあります。しかしそれは、自分自身がディベートを行う。つまり、もともと正解のない議論を行い、主張することが前提のテストだからです。 では、日本の公教育はこうした世界標準の読解力を目指していないのでしょうか。遅い歩みではありますが、文部科学省の方針に基づき、全国に増設されている公立中高一貫校で、PISAのテストとそっくりな適性検査と作文が出題されるようになりました。  読解力に対する、教育現場における危機意識の高まりを反映してか、2009年のPISA調査では、日本の読解力は8位(前回調査では★位)にまで上昇しました。このブログでは「国語力」の定義として、問題解決力を志向した世界標準の「読解力」も含めて考えていきます。 自由が丘の塾 直井メソッド国語専門塾]]>

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