たかがテスト、されどテスト

国語のテストの点数というのは、

瑣末な質問とか、小説の楽しさとは関係ない感情の関連性だったりして、

一見、本来の国語力とはあまり関係がなさそうです。

小説家本人が、自分の小説のテストの正解がわからないというくらいなので、

国語のテストというのは、かなり切り刻まれ、テスト用に編集された

論説文なり小説文なのです。

作者の伝えたいことのエッセンスのうち、編集者がアレンジした一部が、

テストの文面として採用されています。

だから、テストでしか文章を読んでいないと、

文章本来の、学術的、芸術的意図というのを、

理解する機会を失います。

国語のテストというのは、本来は、緊密な文章の縮図の中で、

論理や感情の流れを追うためのトレーニングなのです。

しかし、点数に差がつかないといけないので、100メートル走るために、

網だのハードルなどが設置させれている障害走です。

100メートル走るうえでの、走力が高ければ、

障害をクリアする余力ができて、タイムが短くなります。

100メートルをトラックの上で速く走れれば、

長距離も速く走れる可能性が高まります。

現実には、山あり谷ありの駅伝だったり、マラソン大会だったりするような走りを、

100メートルの障害走で測っているというのが、国語のテストです。

純粋な読解練習は、100メートルを速く走るためのトレーニングということができます。

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