作文と読解の両方をやる理由(2)

書くことと読むこと

その両方を学習することには、

相乗効果があり、

それを、きちんとした理論とメソッドで

学習する必要があります。

そうした方法論を説いている人というのを、

実は私は知りません。

なので、少しこの場で考えてみたいと思います。

書くことの学習というフェーズで、読むことが奨励される場合、

それは

暗唱・音読などによる単なる熟読であったり、

部分的な感想であったり、

単なる多読であったりします。

そこに、方法論的な学習意図は皆無です。

例えば、自分が書いている文章を

あるお手本をもとに、表現や論理構成を変えましょう

という課題には、お目にかかったことがありません。

読むことの学習というフェーズで、書くことが奨励される場合、

それは

指示語や文法による構造的理解であったり、

それを使った構文作成であったり、

単なる要約であったりします。

そこに、高度な思考のモニタリングという観点は皆無です。

例えば、天声人語を要約しましょう

という課題はありふれていますが、

天声人語そのものを書きましょう

という課題には、お目にかかったことがありません。

国語のテストの読解に取り組んでいるのは、

もちろん高得点を上げ、合格を勝ち取るというメリットのためではありますが、

実は、この長さの文章をこの密度で読解することは、

実際にオリジナルの文章を書き下ろすときの

思考の密度に近いものがあるからです。

文章のパーフェクトな理解というのは、

モニタリングの最短距離であるからです。

国語のテストというのは、

もし、そういう使い方をできれば、

最高の学習教材になると言えます。

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