作文を書くということは、
その作文は誰かに読んでもらう、
ということが前提ですね。
わたしが学生だったとき、
東大法学部の先生が、一般教養の法学の授業を担当してくださっていました。
その先生は100人は超えるであろう受講生を前にして、
毎回作文を提出するように。
という課題をだされていたのです。
いったい何年使っているのかという、
古びたノートで講義される先生がいる一方で、
ご自分の在籍されている大学でもないのに、
こんな手間隙のかかる課題をだされていたのです。
学生には、「書くこと」が大事だからという理由です。
もちろん100人分x40週だかのレポートに、
すべてコメントするなんて、不可能です。
でも、必ず目を通しているからという言葉を信じて、
ひたすら作文を書き続けました。
その先生に読んでもらえるというのが、
うれしかったのですね。
受験勉強でカチコチになっていた頭が、
リハビリされたのは、
その先生のおかげです。
法学の授業の内容は、忘れてしまいましたが、
そのやさしい面影と、献身的な教育への姿勢は、
今のわたしの原動力となっていると思うのです。
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