論理エンジンの限界

こんにちは。 国語力アップの直井です。

出口汪の論理エンジンは、国語の読解に関する

デファクトスタンダード(事実上の標準規格)になりそうですが、

そこには、二つの問題があります。

それは、論理エンジンのゴールが、

大学受験の国語で高得点を上げることに起因します。

書いてある文章をそのまま意図を変えずに読み取るというのは、

問題を解く上での、基本条件です。

けれども、社会人として本来必要とされる

情報を役立てることを前提に読み取る

ということに関しては、二義的になるので、

全体の文意を読み取る訓練が浅くなります。

例えば、小学生が、

「それ」は何をさすか?というような問題をやりながら、

段落の要点を読み取るということは、できないと言っても過言ではありません。

逆に、文全体の読解を難しくしてしまいます。

けれども、初期のトレーニングでは、こうした訓練が延々と続きます。

すると、文全体を俯瞰する読み方に、シフトするのが難しくなってしまいます。

国語の読解=指示語 の読み取り → 正解の見つけ方

というフレームが、しっかり出来上がってしまいます。

もう一つの問題は、自分の考えを述べる という訓練が軽視されるということです。

受験国語は正解を一つにしないといけないので、

本来、文章でゆらぎを伴いながら表現される自分の感情とか意思について、

思考を重ねることが全く行われないのです。

受験国語はテクニックに過ぎず、その先の思考の世界が国語にある

ということは、

教育に関わるすべての人が、忘れてはならない原点です。

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