武器商人が起こした戦争に、国家の兵士ですらなく企業に派遣された傭兵という身分駆り出され、国際ルール無用の状況で心身共に傷ついたのは、アメリカでも所得の低い弱い立場の人たちでした。決してやってはならないこと、「安全保障」を市場化してしまった(ビジネスにしてしまった)アメリカで起きた出来事です。
同じことが、「教育」を市場化してしまった状況で、起こります。弱者である子供たちが犠牲になるという構図が読めてきます。ある大手塾が、家庭の教育責任を形だけ全部請け負ったときから、中学受験のエスカレートは歯止めがきかなくなりました。中学受験で燃え尽きて、詰め込み勉強のため思考力も育っておらず、中学からの勉強にすら支障が生じることがよくありますが、その責任は、楽をしたいがために、お金に頼って乗せられてしまった保護者にもあるということです。
優秀な家系に生まれていて、小学生のときはとても利発で勉強もでき、普通に勉強すれば一流大学に入学できたであろうお子さんたちが、中学受験後に変調を来たしています。失敗したと薄々気づいても、それを表面化することは、さらに傷を深くするだけ。大学受験では、想像すらしなかった学校に進学して、大きな挫折感を味わうことになります。
教育は、塾に任せて「やってもらえるもの」ではありません。家庭の自主性を取り戻すところから初めて、実りのある受験勉強の形が見えてくるようになります。
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