国語のテストに、詩や俳句が出題されることがあります。
そのために、詩の読解練習をすると言ったら、
出題される詩人たちからは
「意味不明!」「変なことやらないで」と、苦情が出てきそうな気持ちになります。
書いている詩人や俳人は、言葉の芸術に真剣に向き合って、
その名作を残しているのであって、
それが理解できようが、できまいが、
それは読み手の感性であって、作者は関与しないところです。
ましてや、テストで初めて読んだなんていう状況、
時間に追われ、「正解ができればおしまい」なんていう読み方は、
絶対にやって欲しくないことでしょう。
芸術の冒涜ですらあります。
教えている方としても、「中原中也はよく出るから…」なんて、
言ったあとから恥ずかしくなります。
とはいっても、出題されるので、
読み方の練習をしてもらうのですが、
一つ目のポイントは、正確にイメージを描くこと。
二つ目のポイントは、自分の感情のリアクションは横に置いて、詩の状況に浸りきることです。
言葉の音とリズム感をつかんでもらうために、音読もしてもらいます。銀河鉄道が成層圏にむかったら、それまでに窒息するのでは、
というような科学的なつっこみを入れたくなる気持ちはわかるのですが、
詩は現実とはまったく別のイメージの世界の話です。
詩に親しんでいないような人は、
そもそもイメージの世界があるということに、リアリティーを感じていないのですが、
詩の勉強をしてもらっているときは、擬似的でもいいので、
そういうメンタリティーを体験してもらいます。
イメージの斬新性も詩の生命線なので、いつも意表をついた表現がでてきます。
イメージを正確に追わないと、正確な読解はできません。
「若葉」ということばが出てきても、それが、孫の名前だということがわからない。
さっさと読んでしまおうとすると、そんなイージーミスを平気でやってしまいます。
あわてて読まないで、一行一行を味わうことに、向き合ってもらっています。
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