以前、ある個別指導で教えていたとき、
小学校低学年のとても優秀なお子さんなのですが、
テスト形式のドリルがすぐに終わってしまうので、
もっと良質な考える力がつく国語のドリルに
切り替えようとしたことがありました。
短い記述問題もあるのですが、
自分の力で考えるものなので、これといった正解がないものもあります。
すると、すごく取り組むのが嫌になってしまうのです。
○がつくことで、達成感があったのが、
「自分が考える」「自分が感じたことを書く」ということに、
満足感が感じられないのです。
他のお子さんで作文の体験をしていて、
会話的に内容を発展させようというときにも、
怒られているように感じてしまうという例もありました。
また、高学年で読解指導に取り組んでいる場合も、
「正解を探す」という読み方から、なかなか抜けられないということもあります。
○×ですべてがわかるなら、
コンピューターのプログラムで事足りますが、
そうでない微妙なニュアンスや価値観、感情の動きなどを伝えるために、
文章は筆を尽くして書かれます。
それが、読めているかどうかを確かめるのが、本来の国語のテストなので、
国語のテスト対策のために、文章が読めない・書けないというのは、
本末転倒です。
読む・書くなどの本来の国語力を育てることには、
テスト対策のよりもずっと力を入れていきたいものです。
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