こんにちは。 【脳力さくぶん教室】の直井です。
大学受験であれ、中学受験であれ、偏差値で計られる入試制度があり、
それが学歴社会というものの根拠となっています。
高い偏差値の学校ほど良い
という価値観ですね。
もし、この価値観を全面的に取り入れて、その通りに行動するとどうなるか?
東京大学に入学できれば、ゲームの勝利者
そうでなければ、
いくつかの段階を経ながらも、負け組み
という結果になります。
世の中で、東京大学が特別視される所以です。
ごくわずかの勝ち組がいて、(全体の0.?%)残りは全部負け。
自分の学歴を肯定するためには、いろいろな理由付けが必要となります。
さらにいうと、東京大学の中ですら、本当にずば抜けて優秀な人は1割と言われているので、
残りの9割の人は、ともすると、挫折感を抱きがちになります。
勝とうとすればするほど、負ける確率が高くなる
というパラドックス(矛盾)が、「学歴」という考え方には含まれています。
この不毛なゲームから降りるには、どうした良いのでしょうか?
例えば、ウィンブルドンに行けなければ、テニスをやる意味がないとしたら、 誰がテニスをやるのでしょうか。
テニスをやっているのは、プレイが楽しいから
ですよね。
プレイに磨きをかけて、益々楽しむために、ゲームがあります。
つまり、これがゲームに過ぎないということをわかって、ゲームに参加するということです。
すると、プレーが終わったあとには、相手のプレーヤーと握手をすることができます。
同じように、勉強は楽しむためにやります。
知の世界を広げ、思考力を伸ばして、知的生産活動をするための基礎体力を作ります。
勝つために勉強をしていれば、燃え尽きますが、
楽しんでやる勉強は、どこまでやっても終わりがありません。
それは、世界が不思議にみちていて、知的好奇心を持っている人には、
無限に遊園地を用意してくれているからです。
受験勉強が苦しいのは、
知的好奇心<学習量
であるためです。
この関係が逆になって、
知的好奇心>学習量
となれば、燃え尽きることもなく、楽しい勉強を続けることができます。
作文を学習し始めて、突然全教科で成績が上がることがあるのは、
一つは読解力が伸びて、思考力に目覚めたからということがありますが、
もう一つは、
勉強の世界(言葉で伝えられる世界)が、本物の世界につながっている
という実感を得ることができるからです。
情報を発信する側になることで、それまで、抽象的だった情報が 生きたものに感じられるのですね。
思考力を獲得することで、世界をより良く生きることができるのであれば、
生命力が旺盛な子どもたちは、そこに活路を見つけます。
「受験に勝つ」のパラドックスを超える一つの解が、そこにあります。
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