中学受験のトップ校の国語の問題は、
難度を上げるために、
相当な長文になっていて、
対策として速読を考えたくもなるはずです。
速読の方法というのは、
ここ10年ぐらいを考えても
いろいろなブームがありました。
けれども、冷静に考えてください。
万人に対して、有効かつ有益な速読術があったとしたら、
それは、圧倒的に普及しているはずではないでしょうか。
どんな方法も、開発して、数年経ているし、
広告費をかけて商業的に、広めているものもありますから。
(東大合格者の何パーセントが速読をマスターしている
という統計でもあるのでしょうか。)
確かに、速く読めて、解答の訓練を積んでいれば、
○○と同じ語のある場所を探す
という問題も少なくないので、有利になります。
けれども、どんなに速く読めたとしても、
思考力は速くならないのです。
つまり、文意把握には、別の練習が必要なのです。
しかし、逆に、文意把握力がついていれば、
速く読んでも、多少端折っても、文意把握は誤りません。
そして、何より、文章というのは、
書いた人の思考や感情をトレースするのが基本なのですが、
速く読むことによって、思考が塊として飛び込んでくる?
というようなことは、起こり得ません。
書いているスピードというのは、思考のスピードに近いからです。
速く読むことによって、無機質な文字情報を、
大量に得ることができるのですが、
文章の魂ともいうべき、価値観のモデリングは、
抜け落ちてしまいます。
速読というのは、ビジネス書のように、
情報の取捨選択が必要なときに、
最大の効果を発揮しますが、
成長過程にあって、人生における読書のやり方を学ぶ年代に行うと
不毛な読書習慣をつける恐れがあるということを、
考慮したほうがいいのではないでしょうか。
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