国語の勉強は、日本語の勉強と同じではない

こんにちは。 【脳力さくぶん教室】の直井です。

国語という教科は、英語、中国語などの語学の教科と同列のものではありません。

日本語は、日本に住んでいる私たちにとっては、母国語です。

読み書き、話すことの意思疎通ができるように習熟することは、もちろん、

何かを考えるときにも、私たちは日本語で考えます。

つまり、国語という教科は、わたしたちの精神活動を形成するという意味で、

特別な教科であるわけです。

だから、「作文を書く」ということ一つを取っても、

それは、「英作文を書く」ということとは、全く意義が違います。 英作文であれば、意味が日本語と同じように通じれば、それで良しとされますが、

作文は、「書いている人の意図が、誰かに正確に通じる」ことをもって、合格レベルになります。

もっと言えば、たくさんの時間数を割いている算数のような教科ですら、

論理的な思考力を形成する上での訓練にはなりますが、それがなくても、生きていくことができます。

理科系の大学に進学する人以外は、社会生活上のクオリティーを上げる上で、

何かの役に立つということはありません。

けれども、国語という教科を、

考える力を形成する

ないし

情報収集して、それを自分の知識として活用する

という風に捉えなおせば、

それは、会社勤めの人はもちろん、個人で事業をやる人であっても、家庭の主婦であっても、

その生き方を限りなく豊かにする道具

とすることができます。

OECDの実施しているテストで、日本の読解力が相対的に低下している

ということが問題になっていますが、

海外の読解力の基準は、こうした思考力のことを差しています。

このブログでは、

国語を通して、こうした意味での読解力を育成する方法

をお伝えしています。

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